中国の今があるのは、改革開放後に世界の工場になったからであることは間違いない。
そのグローバリゼーションを支えたのが比較優位という理論だ。経済学者のサミュエルソン(1915~2009)は「比較優位は経済理論として否定出来ない事実だが、賢明な人々でも完全に納得しているモノではないものとして、最も典型的な例だ。」と述べている。
比較優位論とはデビット・リカード(1772~1823)が提唱した「自国の中の得意なモノに特化して、他の国と交易すると双方の国が豊かになる」という理論だ。それは例えばアメリカのような絶対的な強者と名前を聞いたことも無いような小さな国との間でも成立し、双方が豊かになるとしている。
分業して交易することで「世界の生産量=世界の消費量」が増大するということが、非常に簡単な計算で導かれているので、誰でも確かにそうだと納得してしまう。しかし長い間それが実現されることは無かった。その原因は輸送コストにあった。
1960年代まではどこの港にも、安い賃金と劣悪な環境で貨物の積み下ろしで生活する労働者の一群がいた。アカデミー賞を受賞した「波止場」でマーロン・ブランドが演じたような筋肉隆々の労働者だ。彼らが形も決まっていない様々な荷物(樽に入ったワイン、割れ物の食器、大きな家具、袋に入った小麦など)を人力で積み下ろししていた。当然、効率は非常に悪く時間もコストもかかった。当時の輸送コストはアメリカ輸出総額の約50%にも達しており、更にその半分が波止場で支払われる費用だった。この状況ではリカードの比較優位は実現出来ず、当然グローバリゼーションも中国が世界の工場となることもなかった。