「何がこれほどまでに中国を急激に発展させ、そして歪みを生んだのか?」を考えると、時代によって幾つかの「ブースター(加速器)」となった事象がある。以下ではそれを見ていきたい。
まず第1段階は1978年の鄧小平氏による改革開放であることは間違い無い。それまでの中国は大躍進政策と文化大革命により国内は乱れきり地獄と化していた。そのためスタート地点が低すぎたということもあり、普通にすれば必ず大きく成長する。そして鄧小平氏により普通のスタートが切られた。
第2段階には、やはりこれも鄧小平氏だが1992年の「南巡講話(南方談話)」である。これを機に改革開放が加速され、海外の直接投資が飛躍的に伸びた。中国は当時、圧倒的に資本が不足していたので、これは中国の躍進に大きな貢献をした。そしてこれ以降、中国が世界の工場として大きな役割を担うようになる。またこの時から外資の小売業や不動産業への参入が許可されることとなり、土地開発などの不動産業への資金流入が急拡大することになる。
やはり第1、第2段階をみると鄧小平氏の果たした役割は非常に大きい。身長150cm程度の非常に小柄な体のどこにあれ程のパワーと意志と聡明さが備わっていたのだろう。何度も失脚しながらも、その度に復権し、中国の現在を作ったのは間違いなく彼だ。
市場経済を導入しながらも、性急な西洋的民主化を避けたその判断は、私には非常に正しかったと思える。2010年にチュニジアで始まり欧米メディアが「アラブの春」と呼んだ民主化運動の結果が「アラブの冬」になった事実を見れば明らかだろう。まぁ100年後には歴史家が最終結論を出すだろうが。