実は私の下僕は商業デベロッパーとして、大規模な開発や運営に長く携わって来た。最初は日本で仕事をしていたようだが、バブル崩壊後の日本では大型の開発案件が少なく、開発の機会を求めて、当時絶賛発展中の中国にやって来たようだ。何とも物好きな…

結果的に多く開発案件に携わることができ、私にも巡り会えたのだから、下僕は中国に感謝すべきだ。そして今回帰国した下僕は、日中関係の悪化と、日本の地方都市の現状に心を痛めている。何とかせねばと…

確かに東京は世界でも有数の都市だ。しかし東京だけを見ていては日本の本当の姿は分からない。日本を理解するためには地方都市を理解する必要がある。そこで下僕の故郷である長崎市を例に見ていきたい。

長崎の地形としては、山と海に囲われた非常に狭小な土地で、家々が山に貼り付くように建てられており「坂ん街」と言われる。そして、昔より「鶴の港」と呼ばれた長崎港と合間って、他には無い独特の風景を作り出している。現在の美しい夜景は「世界新三大夜景」に選出された、風光明媚な都市だ。

長崎は江戸時代に日本が鎖国をしていた時代に、出島を通じて「世界に開かれた唯一の窓口」として繁栄を謳歌し、日本の中で最先端の技術や芸術、食べ物など、ここにしか無い物が多数あり、当時の先端知識を求める多くの若者を魅了してきた。そして明治期には上海と長崎には日華連絡船が就航し、上海の租界地から多くの西洋人が長崎の雲仙に避暑に来ていた。私と下僕は昔から何かと縁があるようだ。