1992年の南巡講話の時点で鄧小平氏はすでに88歳という高齢に達していた。なので当然公式には引退し、次の世代が表舞台に出ていた。しかし、ここで鄧小平氏が出て来るしかなかったのは、周辺の状況が非常に切迫していたからだ。

その状況とは1989年に東欧諸国で共産党を打ち破る革命が次々と起こり、1991年にはソビエト連邦が崩壊したことだ。これにより東西冷戦が終了することになった。

これら共産主義諸国崩壊の最大の原因は「慢性的な供給力不足」だ。共産国は「計画経済」なので、5年~10年の計画を立て、それに沿って生産をしていく。オイルショックのような不況下でも投資を止めないし、計画=ノルマ(ロシア語)の達成のため、企業が材料を貯め込むので、供給力不足が益々悪化する。しかも消費財の価格は統制されて(無料の場合もある)いるので、常に需要>供給の状態が続き、店舗の前では長い行列が当たり前となっていた。

一方で西洋諸国が消費を満喫している情報を国民が知るに至り、不満が爆発し、体制が崩壊したのだ。

その状況は当然中国も同じだった。慢性的な供給力不足があり、統制の効かない闇市では、高額で商品が取引されていた。市場経済を導入するしか、この需給ギャップを解消する方法はなかった。やはりアダム・スミスの言う「神の見えざる手」に頼るしかなく、計画経済は神にはなれなかったのだ。