中国は隋の時代587年より清朝の末期1905年までの約1300年間、科挙という制度の下、高級官僚が世の中を治めてきた。各王朝が目指す世の中を、非常に難関の試験をクリアした高級官僚が実現するという仕組みだ。科挙の競争率は非常に高く、最難関の試験であった進士科の場合、最盛期には約3000倍に達することもあったという。最終合格者の平均年齢も、おおむね36歳前後と言われ、中には曹松などのように70歳を過ぎてようやく合格できた例もあった。

そして現在は科挙の高級官僚が共産党員というだけだ。そこには民主主義(=多数決)も選挙も無い。だから国民のご機嫌を取るためにポピュリズムに走る必要も無いのだ。貿易戦争などと国民を煽って外部に敵を作り、内部を団結させる必要も無い。現在の社会においてどちらがより社会を豊かにできるだろうか? 我々はあまりにも無自覚に、当然の事として民主主義(=多数決)や政治家、選挙を受け入れ過ぎていないだろうか? 

日本でも選挙が始まったのは1889年が最初で、それまでは所謂「政治家」は存在していない。よく官僚さえいれば政治家なんて必要ないという話も聞く。我々は固定観念を振り払い、もう一度ゼロから考えてみても良いと思う。社会として達成したい「課題」は何なのか?

そして、それに政治家や選挙が本当に必要なのかを?