しかし下僕の知らない場所で90年代半ばごろからは「貸し剥がし」と呼ばれる銀行による強制的な融資引上げが行われ、中小企業が相次いで倒産している。所謂「半沢直樹」の世界だ。本来はここまで悲惨な状況に陥る必要はなかった。しかしこの惨状を招いたのは間違いなく銀行の重大過失だ。

何故なら、バブルは「帳簿の中だけ」に存在するからだ。「帳簿の書換え」など数秒で済むことだ。それをやらなかった為に「失われた30年」が生まれてしまった。

帳簿の金融資産と金融負債は「貸しました。借りました。」を記録したものに過ぎない。幻の資産と負債なので足せば必ず「ゼロ」になる。それを「貸してません。借りてません。」に調整するだけだ。少し工夫をすれば非常に簡単に調整できる。

1992年8月当時の宮沢総理が大手銀行の頭取を軽井沢の別荘に呼んで、政府が銀行へ公的資金の資本注入することを打診した。しかし銀行側は頭取などの経営陣の責任になることを恐れて、資本注入を拒否した。この瞬間に「帳簿の書換え」のチャンスを逃し、同時に日本の30年が失われた。

なぜ銀行への資本注入が重要かというと、不良債権処理による僅かな自己資本の減少が巨大な信用収縮を引き起こすからだ。例えば預金92億円、自己資本8億円の銀行だとすれば、100億円の融資が出来る。これは自己資本比率が8%(8÷100=8%)となっているからだ。しかし不良債権処理で自己資本が4億円に減ったとすると、50億円(4÷50=8%)の融資しか出来ないことになる。これは逆から見ると僅か4億円の不良債権処理で、50億円もの信用収縮が起こることを意味している。

これがバブル後の銀行による「融資の貸し剥がし」を生み、「半沢直樹」を生んだ。そして未曾有の不況とデフレとの戦いを30年も続けることになる。